小説家に地下室は必要なりや?

執筆時間:15分 テーマ「小説家の地下室」盛り込み指定ワード「もみあげ」

 小説家の地下室には秘密が隠されている。
 どんな秘密かって? いつだってネタを探し、ネタを突飛すぎると笑われないための秘密――秘策ともいうかもしれない。具体的に言うならば実験場だ。そして今日も実験に失敗していることだろう。
 例えば、今日はダンディな男が主人公の話を書こうとして、そして地下の実験場におりてみたら、髪形が気になりだしたときた。小説家は自前の髪を触る。
 あっという間に過ぎ去ってしまう時。裸電球の明かりの中で、あっちの枝毛をなでつければこっちのつむじの生えそろえ方がおかしくないかと、何度も指先は往復する。
 なんとか前髪や後ろの髪のフサフサ具合は気に入るように仕上がった。
 これなら描写も冴えるに違いない。
 しかしどうだ、全体のバランスを気にしていたが、髪形の重要なチャームポイントたる――もみあげ部分がどうにも不満になってくるではないか。
 こんなもみあげが許されるだろうか?ダンディな主人公のもみあげがショボかったり、逆に濃ゆすぎたら、そこからキャラが崩壊してしまわないか。挿絵を見て、あるいは挿絵を描く画家にさえ笑われまいか。
 小説家の悩みはいつも杞憂とは侮るなかれ。
 文章で何もかもを表現せねばならないとなれば、脳みそが正しい文章をひねり出せるように、物事は何事もはっきりと脳内で整理しておかなければならない。文字や言葉はどうあがいても脳みそから生まれいずるのである。屁理屈をこねあげ、もみあげをいじりだす。
 ああでもない、こうでもない。フワッとさせてみたり、カール度合いを変えてみたり、肌にはりついた時のカーブの付け方を試行錯誤。
 だが、結論の時は訪れる。ゆうにニ十分ももみあげと格闘してから。
 疲れのにじむ手がハサミを取り上げると、もみあげは短く切って落とされた。
 サリッという軽い音。
 小説家はため息まじりに言う。
「枝葉末節、庭の植木、蛇の足、いらない続編、解釈違いのリバイバルと同じだ。なんだって無駄なものはカミソリで剃ってしまうほうがいい。まさにオッカムのカミソリってやつだな」  
 言葉をこねくり回した言い訳。単にもみあげが生えてる方がダンディというかオジサンくさいということに気づいてしまったのだった。
 鏡と向き合い続けたせいで自分の加齢にも気づき、哀愁がただよう。
 そしてやっと、完成しない小説より完成した小説の方が何倍も価値があるものだと気づき、今日もまた時間を奪う秘密の地下室の扉は閉められ、小説家は机に戻るのだった。