09.金髪赤目の従者

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「それで……、これはどういうおつもりで?」
 金の髪に赤い瞳をした少年は、同様に金の髪を持ちながらも、しかしその瞳の色は青い――自分の姉に向かって、そう言った。
 少年は両親を亡くしており、この腹違いの姉とは遺産相続の争いの最中である。彼は彼を狂信する風変わりなメイドに支援されながら、一人の小さな主として姉や親戚と対等に渡り合おうとしていた。
 そのような関係にあり、実のところ、宣戦布告のようなこともお互いに済ませたあの姉が、今日は突然やってきたのである。いや、以前も突然やってきたのではあったが、また二度と同じことがあるとは思わなかった。しかもメイドが出迎えの挨拶を済ませ、もてなしの茶を入れに行くと、姉はすぐに手を打ち鳴らして何やら人を呼び付けた。
 そう、今小さな主の目の前には、金髪に赤い瞳をした、優しそうな青年が立っていた。
 姉は扇を広げ、パタパタとあおいだ。
「ホホホ……。要はメイド長を引き離すには、お前より魅力的な金髪に赤眼の殿方に、誘惑させれば良いのでしょう?」
「……はい?」
 小さな主は思いもよらぬ発想に嘘をつかれた。姉は自信に満ちた顔をする。
「わたくしの見立てで、文武に優れ、見目麗しく、大変紳士的な方を用意しましたわ! まあわたくしの旦那様には劣りますけれど」
「ええ、奥様。奥様の旦那様は、天高く輝く星座になるべきお方」
 青年は姉の言葉を受け止め、なんとなく非の打ち所のなさそうなことをしゃべった。
 青年の行き届いた賞賛に、姉は高笑いする。小さな主はどうしたものかとため息をついた。メイド長が引き抜かれるのは、現状困る。しかし心情としては、好きにしてくれ、いやむしろ引き取ってくれて構わない、である。
 困るけれど、困らない。
 そう複雑に思いつつも、自分の目の前で、金髪赤目だからと自分を捨てて青年を取るメイド長の姿を見たら、自分は取り乱してしまうような不安も感じ、小さな主は静かに混乱していた。
 あまり良くない状況なのは確かなのだが、そうこうする内に、メイド長が茶を持って現れる。
「本日のお茶は、朝一番に市で買い付けて参りました。早摘みの……」
「そうなのね。ところで、先ほどはつい紹介を忘れていたのだけれど、今日はわたくしの新しい従者を連れてきたの。ほら、挨拶なさい」
 メイド長からはよく見えない角度に顔を伏せていた青年が、顔を上げる。
 メイド長は、息をのんだ。
 その反応に、姉は不敵な笑みを唇の端に浮かべる。小さな主は納得したが、しかし悲しい思いが喉元にじわりと上ってくるように感じた。
「この方は……、」
「どうかしら、仲良くできるわよね?」
「初めてお目にかかります。奥様の従者として、今後こちらの使いに来ることもありましょう。どうぞお見知りおきを」
 青年がメイド長の手を取って礼をする。
 小さな主はその光景を黙って見ていた。見届けたいが、本当はあまり見ていたくなかった。
 しかしメイド長は次の瞬間、
「偽物退散!」
 と素早く口走ると、突如青年の髪をつかんで、むしってしまった。
 小さな主は声をひっくり返す。
「か、髪が!」
 はらはらと毛が散るのが見えた。しかし剥げた部分に見えたのは青年の頭皮ではなく、艶やかな栗色だった。よくよく見れば、青年は自前の栗毛の上に金髪のかつらを被っていた。
「姉君! いたずらが過ぎます! 貴き金髪をまとわせるなどと……。赤目もです!」
 メイド長が青年の前でさっと手を振る。まるでほこりを払うかのごとき動作だったが、その一振りで青年の目の色が緑色に変わった。
「全く! 全くもって、お戯れにも程がございます!」
 なるほど、彼女の手に乗っているそれは赤目の色に見えるよう細工された、色付きのガラスレンズであった。握り拳ぐらいの随分な大きさだが、目に嵌めていたのか。いや、それを今どうやって取り出したのか。
「ガラスレンズを外すコツは、まず痛みを感じさせないように目の神経の通っております、ツボと申しますところを押しまして……、これは東洋の神秘的な技になりますが」
「今は解説しなくていいぞ」
 疑問を表情から読み取ったらしく、メイド長は丁寧な解説をしはじめたが、さすがに聞いている場合ではないと小さな主は中断させる。
 目にはめられるような色付きのガラスレンズなど高価な代物のはずだ。姉としてはよほどこの作戦は肝いりのものであったに違いない。
「ど……どうして? かつらもレンズも精巧に作らせたのに、どうしてわかったの?」
 姉の声は震えていた。問いを受けたメイド長はキョトンとする。
「至極当然のことでございます。偽物は偽物でございますから」
「どのあたりが偽物に見えたというの?」
「どのあたりも何も、全てではございませんか」
 メイド長は穏やかな笑みでそう言ったが、姉は納得がいかない顔をする。
「はぐらかさないでちょうだい。後学のためにわたくしは知りたいの」
「まあ、つまり金髪赤目について、姉君も理解を深めたいということでございますね? まず第一に内面からにじみ出る……」
「その語り口だと長くなりそうね。大丈夫、結構よ、そこまでの語りは。もっと端的にまとめてくれないかしら」
「端的、でございますか。……そうですね、でしたら」
 メイド長は堂々と言い放った。
「愛、でございますね」
 姉の頬がひきつった。
「……愛している、と」
 姉と弟の目が合う。
「くっ、今日のところはここまでとしますわ。でもわたくしは諦めませんわよ! このモンスターハウスから必ず弟を手に入れてみてますわ!」
 ああ、そういえば姉は、メイド長が自分を手籠めにしようとしていると勘違いしている節もあったっけ……と、小さな主はハッとして、誤解を解こうと口を開いたが、遅かった。
 姉は可憐なドレスの裾を翻し、サーッと玄関の方まで走り去ってしまっていた。
 栗毛の青年も礼儀正しく、失礼いたします、と頭を下げて姉の後を追う。
「おや、姉君はわたくしめの愛をまだ勘違いなさっているようですね。恐縮ですが、やはり金髪赤目学についてのお手紙でも差し上げた方が良いでしょうか坊ちゃん。……坊ちゃん?」
 メイド長は、小さな主が、そろそろと後ずさりして、自分から距離をとっているのを見た。
 見られたことに気づき、小さな主は気まずそうにしつつも、微妙な距離のままで言う。
「……愛、の意味が今でも下心を含まないものであると、信じていいんだよな?」
「もちろんでございます!」
 即答だった。
「そうか、ありがとう……。いや、ありがとうではないか……。いや……」
逡巡するも答えは出ない。感謝の気持ちは嘘ではないが、私利私欲っぽさも全開すぎて、感謝を言葉にするのは違う気にさせられる。
「……」
 とにかく、複雑な気持ちになる関係であった。
「姉君は帰ってしまわれましたが、いかがいたしましょう。お茶をこのまま召し上がられますか?」
「そうだな」
 ただ、偉大な父と優しい母を亡くしてすぐの頃とは違い、日常は回復している。チグハグなところは多けれど、主従関係という繋がりは確かにあるのだ――。
 そう心中で考えながら、小さな主は何事もなかったかのように、メイド長の差し出すお茶を受け取った。