06.義姉の来訪②

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 そこには何一つとしてケチのつけようもない、午前十一時のお茶イレブンシーズのもてなしが並んでいた。精巧な動物の形に飾り切りにされた数種類の果物は、ついさっき領地内から届けられたことをうかがわせる、柔らかな緑の香りと甘そうな色をしたものばかりだ。それに、ジャムの艶やかさが失われていない、焼きたてのジャムサンド・ビスケットも並んでいる。ふわりと立ち昇る紅茶の香りは、姉の好きな遠方の地の銘柄であるように思う。
 姉は口元をひきつらせた。
「え……っと、あら、わたくし勘違いしていたかしら……他にもメイドがまだこの屋敷に残っていたなんて」
「いえ、わたくしめのみでございますよ」
「あ……なら、新しくメイドを雇い入れたのかしら……?」
「いえ、わたくしめのみでございますよ」
 メイド長はまったくそつなく紅茶をつぎ、姉の目前に置く。
 そして甘党の姉の前に角砂糖の小皿が置かれたが、その砂糖は鳩の形になっていた。
 姉が目を丸くしたのを見て、そして鳩の出来があまりにも良すぎて、小さな主は耐え切れず吹き出した。
 姉の目的もやり方も、ただひとつ。自分に様々な不足が起こっているのを、わざと姉の前でさらけ出させて、指摘して、自分が全部解決してあげるわ、と言って何もかもの主導権を握ろうとしていただけなのだ。
 ところがメイド長ときたら――自分の主人も足りているし、主人にも不足が無いことをメイドなりに完璧に示してしまった。
 いつどんなタイミングで、どうしてそんなことを予知するようにやってのけたかはわからないが、しかし、そのためにメイド長が生真面目に、砂糖を鳩の形に削ったのかと思うと、なんというか、やりすぎだと言いたい気持ちと、姉に一泡吹かせてしまったという事実が少し――おもしろく感じられてしまう。
「ふふ、けほっ、」
 もっとも、姉の目がキッと勝気に釣りあがってしまったので、小さな主は慌てて咳でごまかすことになったが。
「メイド長」
「はい、なんでございましょう、姉君」
「あなた……さすがお父様お抱えだっただけある、といったところかしら」
「謙遜いたしますべきところですが、当然、とお答えさせていただかねばなりませんね。偉大な君主たられる亡き父君、またひいては坊ちゃんにお仕えさせていただいております身。これぐらいのことができぬようでは主にふさわしくありません」
「ますます気に入ったわ。わたくし、あなたが欲しくなりました。来なさい、うちに。いえ、あなたがいなくならなければこの子がどうにもならないわ。良い戦利品よ、今日絶対に連れて帰るわ」
「姉さま」
 小さな主は声をあげた。しかし姉は自分を見ようともしない。興奮を抑えられないようで、声を上ずらせながら、自分の世界に入ってしまっている。
「幼いというのはやはり時間のロスでしかないのね。わたくしがもっと早く生まれ、もっと早く大人になっていれば、結婚の時にあなたを引き抜いたでしょうに。良いじゃない、わたくし、お父様の跡をついでもっと世を勝ち上がりたいのよ、そして旦那様とわたくしの楽園を築くの。あなたがいれば随分とやりやすいことも増えそうだわ。あなたがこんな幼い子どもの子守りに時間をロスするなんてもったいないわ、この子の成長を待っていてはあなたもわたくしもおばあちゃんになってしまってよ? 善は急げと言うでしょう、わたくしと共に来ればあなたにはわたくしの楽園を見せてあげるし、わたくしの楽園の片隅にいることも赦して良くてよ?」
 姉は自信たっぷりにそう言った。溢れ出る自信と、その自信を裏打ちする姉の財力、詰んできた経験、才能。
 小さな主は、いつものように、姉には勝てないのだ、唯一残った自分側の人間もこうして失ってしまうのだ、とそれをただ聞いて、見ていた。
「――すばらしい」
 メイド長はうっとりとした顔をした。
「坊ちゃん、お聞きになりましたか? ぜひ参考になさってください!」
「…………」
「……いや、すまない、ちょっと意味がわからない」
 参考に、と言われても全く理解できず、姉もどういう言葉を発したらいいのかわからないのか、笑顔のまま固まってしまったので、小さな主はおずおずと、うっとり顔のメイド長に話しかけた。
「何を参考にしろと?」
「そうですよね! 参考に、というよりは、ぜひ坊ちゃんも惜しみなくご披露くださいませ、と申し上げあるべきでしたね?」
「何を披露するのだ」
「何って……坊ちゃんったら、お忘れですか? せっかく姉君もいらしてるのですから、姉君がご構想をお話くださったこのタイミングで『フン、残念だったな、この世の楽園はこの私が作り上げる目途がたっている』などと坊ちゃんのお考えもお披露目していただきませんと!」
「そんな考え、お前に話したことあったか?!
 当然、考えたこともない話であるし、そんな挑発的な話し方はしないし、そもそも楽園って何なのだ、と小さな主は心の中で叫んだ。
 そして姉の顔の色がうっすら赤くなってきていることに気づき、慌ててフォローを入れる。
「ま、待て。そもそも今のはな、姉さまはお前を自分の元へ来いと勧誘なさっているのだ。お前はそれについて返事をするべきであって」
「まあ、それは失礼いたしました。とうとう坊ちゃんから楽園構想が聞けるかと思うと、心臓が高ぶってしまい、早まってうっとりとしてしまいました」
「落ち着け」
「はい、落ち着きまして……」
 メイド長はキリッと表情を引き締める。
「謹んで、お断り申し上げます」
 小さな主は、うろたえた。どこかわかりきっていた答えのような気もしたが、それでも、姉を前にしてなお、メイド長が自分を選ぶとは信じられなかったからだった。
 姉は、怒り心頭になり、真っ赤な顔でメイド長を睨みつけた。
「許さない――許しません。あなたの意思など関係ないわ。メイドの分際で。わたくしが欲しいのだから着いてきなさいと、言ったのよ。勘違いしているのかしら、これはお願いなどではなくてよ。わたくしの命令です。従わないなら、あなたを縛り上げてでも手に入れるわ!」
 二度、三度ほど、パンパン、と姉は手を打った。部屋の中へと男の使用人が数名、縄を持って入ってくる。
「わたくし、欲しい、という言葉は一度しか言いませんの。なぜかおわかり?」
 姉の青い瞳の中で、炎がメラメラと燃えているようで、小さな主は体を固くした。
 姉は大輪の花のような笑顔を浮かべる。
「わたくしが欲しいものは必ず一度で手に入れるからよ。わたくしに二言させる者はこの世界にいはしない!」
 姉の右手がスッとあげられる。その動きに合わせて、今にも男たちが縄でメイド長を拘束しようと身構えたが、メイド長はきつ然として言った。
「もちろん、姉君のお言葉に二言が無いのは確かかと存じますが――わたくしめは坊ちゃんのメイド。坊ちゃんを主として仕えているメイドでございます」
「……」
「いくら姉君といえど、わたくしめが自ら姉君にお仕えさせてくださいと申し上げたわけではない中――坊ちゃんから強引にメイドを取り上げたとなれば、そしてそれがご親族の方々に知れては、後継者争いの渦中で、後継者にふさわしい行いとなりますでしょうか?」
「……ふさわしいかどうかは、やってみてからわたくしが決めたっていいのよ」
 姉は涼しい顔でそう言ったが、その手は微動だにせず、男たちへの命令は出されない。
 そしてはじめて、姉と弟の目が合った。
「ねえ、いいわよね? お姉さまに譲ってくれるでしょう。あなたにも、お姉さまの家でずーっと心安らかに、遊んでいて欲しいし」 
「姉さま……」
 優しい声色だった。もうこの人を頼ってしまえば、重圧からも、悲しい記憶からも逃れることができる、と思わせられた。
 けれど、メイド長の声が静かに、小さな主のざわついた心を落ち着けていく。
「わたくしめも、坊ちゃんが『そいつなどいらぬ』とおっしゃれば、甘んじて従いましょう。けれどご覧ください。姉君が欲しいとおっしゃった――わたくしめを欲しいとおっしゃって下さいました。その姉君も欲しがるわたくしめが、坊ちゃんをこそ、主と選んでいるのです」
 ――メイド長の瞳のあたたかな色は、小さな主に向けられた信頼の灯のようだった。
 その灯が、姉のまなざしと声に固まっていた体を、ほぐしていく。
 緊張で出なかった声が、自然に出た。
「これは、私のものです」
 姉の顔が一気に険しくなる。
「そう答えることが、どういう意味か――わかって言っているのかしら?」
「もちろん」
 自分の口からはっきりと、姉に意思を告げるのははじめてで、少し小刻みに手が震えた。それでも、姉の目を見返す。
「私は、この家を継ぐ。父さまの後継者は私です。メイド長にはその手伝いをしてもらわねばなりません。姉君には渡せません」
 小さな主を品定めするように、姉の目が細められた。それでも小さな主は、もう怯まなかった。
「……後悔するわ。わたくし、あなたのことを本当に大事に思っているのに」
「私もです。ですがそれとこれとは、別の話。今日はお帰り下さい」
 数秒か、数分か、沈黙が降りる。小さな主は胃がひっくりかえりそうな気持ち悪さを感じていたが、精一杯、平静そうにしていた。父親の生き写しのような見た目が、姉にも何か思わせるところがありますように、と願いながら。
 姉は、フゥ、とため息をついた。
「そうですわね。この家の主人がおっしゃるなら、今日のところは引きあげましょう」
 そして上げっぱなしだった手をゆっくりと降ろし、扇子を取り出す。
「ただし、土産物はいただいていきますわ」
 ニコリ、と笑うと同時に、その扇子はバッと開かれ、
「その女を縛り上げておしまいなさい」
 メイド長へと向けられると、男たちがあっという間にメイド長を包囲してしまった。 
「姉さま?!
「わたくしに二言させるものはいやしないのよ。それとこれとは、べ、つ」
 ホホホ、と上品な高笑いが部屋に響く。
 縄を持った男たちがメイド長へととびかかった。
「メイド長!」
 小さな主は叫んだ。
「解釈違いです」
 メイド長が真顔で――小さな主の背後に立っていた。
「……メイド長?!
 小さな主は叫んだ。
 心臓が止まるかと思った。
「坊ちゃん、良いですか、使用人ごときの心配などしてはいけません! 使用人の命など使用人自らが守るもの、主人の預かり知らぬものでございます」
「ずいぶんと厳しい倫理観ではないか?!
「あ、背後をとってしまったことについては大変失礼いたしました。万一にでも坊ちゃんに何かあってはと思い、お背中を守らせていただきたく……まあ坊ちゃんの金髪の一本でも風で揺らそうものならわたくしめ怒り狂って大変なことになってしまうやもしれませんが」
「……うん」
「なにせ坊ちゃんの金髪は金髪赤目を構成する非常に重要な一部……そこらの金髪とは価値が違います。お屋敷のお掃除をする際にも丁重に拾い集め、一通りの供養をして祭壇に祭り上げてから何人にも渡らぬように焚き上げております故」
「うん、うん、聞かなかったことにするから、やめてくれ。自分の髪の毛が守護天使になったりしてたら私は嫌だ」
 驚かされたせいでドキドキしていた心臓が、落ち着いてきたからか、はたまたメイド長のいつもの調子に脱力させられてきたか。
 小さな主は肩をダラリと落とすと、「姉に押し付けた方が平和だったのでは」とわずかな後悔を抱き始めていた。
「ちょっと?! 何がいったいどうなったというの?!
 姉はパニックを起こしている。メイド長は人差し指を立てて説明する。
「はい、姉君のご性格上、こうなるだろうと思っておりましたので、実はこの部屋には予めちょっとした仕掛けをさせていただいていたのです。……いわゆる、瞬間移動の奇術、の仕掛けですね」
「瞬間移動??
 小さな主は無表情で、床に敷かれたカーペットの模様を眺めることにした。
 小さな主の背後で、メイド長は得意げな顔をする。
「危ないですよ、お部屋で縄を振り回されては。お付きの皆さまは馬車まで瞬間移動されているはずです。さあ、姉君もお帰りになるとおっしゃいましたし、わたくしめも我が主人も、そろって門までお見送りさせていただきます」
 小さな主は、カーペットの模様が見慣れたものではなく、五芒星を含んだ謎の模様が描かれたものになっていることに気づき、サッとテーブルの上の茶菓子へ視線を移す。
「くっ……このわたくしに……どうして?! わたくしは魅力的でしょう? 絶対に、弟よりはお給金だって弾むし、他にもメイドがいて働きやすいわよ!」
 姉は唇を震わせて食い下がるので、小さな主は「そういうこと言うのはやめといた方が」と言おうとしたが、時すでに遅く。
「申し訳ございません! わたくしめ、金髪赤目が性癖ですので!」
 満面の笑みのメイド長の『金髪赤目至高節』が炸裂してしまった。
「だから何なの? その金髪で赤目だから何だっていうのかしら! だいたい金髪で青目って世間では美人の条件なのよ! もしかしてわたくしの知らない間に金髪赤目が美人の条件に変わったの?」
「いえ姉さまが正しいです」
「惜しい! でも違う! というやつなのです!」
 小さな主の声をかき消すほど、メイド長は溌剌と言いのけた。
「なあに……なんだか、わたくし、わからなく……性癖ってどういう……性癖って何?」
「私もわかりませんよ姉さま」
「お慕いしたくなる方の傾向、と申し上げましょうか。好みの癖と申しましょうか、癖のある好みと申しましょうか。しっくりきませんが」
 お慕い、と姉は意味を反芻するようにつぶやいた。
 そしてサーッと青ざめると、ガタリと椅子から勢いよく立ち上がり、
「わたくし、絶対に弟を救い出して見せますわ! このモンスターハウスはわたくしの管理下におかねば!」
 と叫んで、身を翻して部屋から出ていく。部屋の隅で我関せずとくつろいでいた伝書鳩も、慌てて姉の後を追って部屋から出て行った。
 メイド長と小さな主はすぐに追いかけたが、玄関まで出た時には、すでに姉や姉の使用人の姿は無く。
 門の傍から喧騒が聞こえた後、馬が早駆け気味に走り、馬車が煌めきながら去っていく光だけが見えた。
「坊ちゃん! ご立派でしたよ! 姉君によくぞ、立ち向かってくださいました」
 メイド長は満足そうに小さな主へ笑顔を向けたが、小さな主は眉間を片手で押さえた。
「……余計に、めんどくさい事態になってしまったのではないか……?」