06.義姉の来訪①

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 それは、午前のティータイムに差し掛かろうかという時だった。
「伝書鳩が来ました」
「……伝書鳩?」
 知らせはだいたいが郵便によって届けられる手紙か、使用人が伝えてくるか、電報で受けることがほとんどだ。そしてメイド長の肩に乗っている鳩には、見覚えがある。小さな主は嫌な予感がした。
「まさか」
「この鳩、わたくしめの記憶違いでなければ、坊ちゃんの」
 リンゴーン、と玄関のベルの音がメイド長の言葉を遮る。
 小さな主とメイド長は顔を一瞬見合わせたが、メイド長はサッと玄関の扉を開けに行った。鳩がメイド長の肩から離れてバサバサと椅子の背に止まる。
 その鳩の羽の模様――自分の予想が外れていなければ、あの人が来るはずだ、と胸の中が重くなりながらも、小さな主もノロノロと玄関へ向かう。
 メイド長が開けた扉の先には、薄い水色のガラスの花で飾られたきらびやかな馬車が見える。そして豊かに光り輝く金色の髪を結いあげた、澄んだ湖のように美しい青の瞳を持つ女性が、今まさにその馬車からドレスの裾をつまんで降りてくるところだった。
 小さな主とその女性の目が合う。フン、と鼻を鳴らされたような気がした。
「ごきげんよう、パッとしない屋敷に華のようなわたくしがやって参りましたわよ。先触れを出しました通り、このわたくしがわざわざ迎えに来てさしあげましたわ。さあメイド長、参りましょう、わたくしのものになりなさいな!」
「惜しい! だが違う!」
 一瞬の出来事だった。
 女性は光が跳ねまわりそうなほどの麗らかな笑みを浮かべ、メイド長へ手を差し出しながらズンズンと近づいていった。メイド長は驚いたような顔をしたが、すぐに悲しそうに目を伏せると、嘆くように叫ぶ。
 そして女性の目の前で扉を閉めた。
「いや待て、おい」
 思わず小さな主が止めに入ったが、遅かった。メイド長は宙を見ながら、
「高貴で高飛車な点は満点、でも目が青い、なぜ、なぜ目が青いのか、全然違う、」
 ぶつぶつ呟きつつ、手でかたくなに扉を閉じ続けている。目がすわっていた。
 扉の向こうは時が止まったかのように静かだったが、間をおいて、女性の困惑と怒りを含んだ高い声が響いてくる。
「なんですの! あ……あなたそんな感じでした?! 何が起こってるんですの? メイド長! 開けなさい! 何かよくわからないけれど辱めを受けた気がしますわ! よくも! 開けないと許しませんわよ!」
 複数の足音がして、恐らく女性の従者が数人がかりで扉を開けようとしている気配がしたが、かんぬきもかかっていないのにメイド長の閉めた扉はびくともしない。
 恐ろしい光景だった。
 とんだ再開もあったもんだな、と小さな主は肩を落としながら、メイド長に命じた。
「開けてやれ、姉さまにその仕打ちは理不尽すぎるぞ」

「先ほどは取り乱してしまい、申し訳ございませんでした」
「謝る先が違っていてよ?!
 メイド長は小さな主に頭を下げていた。
 なんとかなだめて談話室に通し、お茶でも、という矢先にこれである。
 小さな主は、それはメイド長が自分に服従していることを示すためにわざとやっているのだと勘づいたが、姉をふくれっ面にするようなことはこれ以上しないでほしい、というのが本音だった。非難の眼差しでメイド長を見る。嬉しそうにしていた、駄目そうだった。
「金髪碧眼というのは多くの方に人気があるものの、わたくしめにとっては、違うのです。違うのです、惜しいのです」
「何を言っているのこのメイドは」
「気になさらないでください姉さま……お茶にしましょう、ちょうど菓子が焼けたそうですから。そうだな、メイド長?」
「はい、迅速に持ってまいります」
 姉は、不愉快だと眉をひそめている顔さえ美しかったが、メイド長はその顔をチラリと一瞥すると、表情こそ普通の様子だったが「惜しい……逸材になれたのに……」とボソボソ言いながら下がっていった。
 何考えてるんだ、あいつ、と小さな主は気が気ではない。姉はますますむくれる。
「弟よ、あの、あの者、確かにメイド長なの? 本当に? わたくしも評価していたしっかり者の寡黙で見目もそれなりの、教養あるお姉さまという感じだったメイド長が……あれ? あれだっていうの? どうなっているのかしら、お父様がお隠れになっておかしくなったとか?」
「姉さま、それは正解といえば正解ですね」
 心の底から神妙に、小さな主はうなずく。姉はショックを受けたらしく、放心したような顔をした。正直、そのような姉の顔を見るのは生まれてはじめてのことだったので、小さな主はそのような顔をさせたメイド長に呆れつつ感心した。
 ――年齢の五歳離れている腹違いのこの姉とは、幼い頃こそ交流があったとはいえ、姉が嫁いでしまってからはすっかり疎遠になり、妙に気まずい。姉は全くそう思ってないらしく、会えば昔から変わらない負けず嫌いらしい性格で、自由気ままに接してくる。それは、父親が亡くなってからは、小さな主の自信を失わせる一因ともなっていた。
 羽ばたきの乾いた音がして、姉の座る椅子の背に鳩が止まる。
「大儀でしたわ、オリビア。久しぶりの務めでもちゃんと果たせるものね、さすがわたくしのしもべ」
 オリビアと呼ばれた鳩は、褒められているのがわかるのか、目を細めて満足そうにする。
「姉さま、まだその鳩をお使いになっているのですか?」
「電報でも出そうかと思いましたけれど……この子の運動にちょうどいいかと思って。直前に訪問の知らせが届いたからといってうろたえるようなお家じゃないでしょう、ここは」
 ホホホ、と扇子で口元を隠しながら、姉は小さな主を挑発する。返す言葉も無く、ただ父親がわざと話を無視する時のように、視線を逸らしてなんでもないように腕を組んだ。
 姉は、父親の最初の奥方との間に生まれた娘で、父親がいつも午前のお茶だけは必ず共にする家族だった。姉の性格は、父親のみならず、父親と共に商売で財を築き上げたという、女傑の奥方から譲られたものにも違いない。
 そして自分がいつも目標にしてきた相手でもあったし、比較してしまう相手でもあった。勉強も、音楽や絵の才能も、この姉の方がいつも素晴らしい結果を出してきていた。姉がそれを口実に自分を貶めたことは無かったが、勝負の土俵にあげるまでもない、と軽んぜられていることは、度々そのまなざしと言動から感ぜらる。
 つまり、目下、正式な父親の跡継ぎ争いの中での最有力候補者なのだ。財力と気品、他者をなんとも思わないその力強い性格が、他家に既に嫁いだだの、まだ若すぎるだのという文句さえ圧倒してしまっている。父亡き後、自分に見切りをつけて、姉に身を寄せた使用人がどれほどいるか、考えれば気持ちがふさぎ込んでくる。
 そんな小さな主の気持ちを見透かすように、姉は扇子の向こう側で太陽の輝くような笑みを作った。
「ねえ、あなたもわたくしのお家にいらっしゃいな。別にあなたのことが心配だから言ってるんじゃないのよ。後継者問題に片をつけるためにも、そうなさいな。遠慮しなくていいのよ、わたくしからすれば、わたくしの懐や台所がどれだけ広いかお披露目する、いいきっかけになるかなとも思っているのだし」
「いえ、私の家はここだけですから」
「あらもちろんよ、この家はあなたにあげるつもりよ? わたくしの旦那様も別荘には困ってないし。メイドもわたくしのところからもっとよこしましょう、あなたはゆっくりとここで暮らせばいいのよ」
「そういうことでは、なくて」
 じゃあどういうことなの? と澄んだ青の目が不機嫌そうにこちらを見てくる。この目に折れて、そういう話になってしまえば、あっという間に自分は後継者争いの敗者と見なされてしまうだろう。
 姉の傍にいる伝書鳩のようになるに違いない。さぞかわいがられるだろう、さぞ守られるだろう、そして存在そのものを囲って使われてしまう――。
「お待たせいたしました、お茶をお持ちしましたわ」
「もう、遅いじゃない、わたくしを待たせるなんてメイドとしてどう……?!
 姉が言葉を詰まらせたことで、小さな主はハッと意識を取り戻し、そして目の前の光景にギョッとした。