イモータル・メイド

←前の話 || 目次 || 次の話→

 小さな主は庭で落ち葉の降るのを眺めながら、夕焼けの手前に飛んでいる鳥の群れの鳴き声を聞いていた。その日はハロウィンの祭が開かれる日であったが、自分が紛れても良いのか、気にしていたのである。
考えている内に日はどんどんと沈み、空は紫から深い紺色へ色を変えていく。風が首筋に当たって寒く感じられた。
「一気に冷え込んだもんだな……」
「では、こちらのブランケットをどうぞ」
軽く身震いをしたところ、メイド長が現れてブランケットを差し出してくる。それはボルドーのビロード布に金で蜘蛛の巣の模様が刺繍されたブランケットだった。
「うわ、なんだこれは」
小さな主は受け取ろうとした手を引っ込める。メイド長はにっこりと笑った。
「ハロウィンですので、季節を感じていただこうかと用意いたしました」
「な、なるほどな」
メイド長の傍には、菓子がいっぱいに詰まった籠の載ったワゴンがある。
「さあ坊ちゃん。それを被って悪戯を受けよ、菓子も持てトリックアンドトリートとご命じ下さいませ」
「待て、全てがおかしい」
メイド長が不思議そうにするので、小さな主はかぶりを振った。
「いいか、順番に話すぞ? まずブランケット。これを被って、どうしろと?」
「幽霊になっていただこうかと」
「こんな派手な幽霊がいるものか」
白や透き通った色をしている幽霊像からかけ離れすぎていて、誰ひとり幽霊とは思わないだろうと思う。
「一般的にはそうかもしれません。そもそもわたくしめも、坊ちゃんにしていただく仮装については、もっと威厳のあるものであるべきとも思ったのです。しかしハロウィン、魍魎の王道とは何かを考えたとき……、やはり幽霊に勝る王道はないと言う結論に至りまして」
「それならばシーツでも被れば、仮装には事足りるだろう?」
「単なるシーツでは坊ちゃんがお体を冷やしてしまわれます。ですので、ブランケットをお持ちさせていただいたのです」
「その心遣いはありがたいが……、ならこの赤色と金刺繍は?」
「坊ちゃん、王道と定番は違うのです。定番の白では坊ちゃんの気高き金髪と赤目が隠されてしまいます。そうなればそれはただの邪魔っ気な布にしかなりません。坊ちゃんが仮装されるのであって、主役である坊ちゃんを隠すなぞ、何と由々しき仮装なのでしょう?」
「あの、仮装というのは自分以外のものの姿を真似るのだから、私がわからなくなっても仕方ないというか……」
「布が坊ちゃんに合わせるべきなのです!!」
「仮装とは一体」
「そういった理由から、赤のビロードに、ハロウィンらしさを坊ちゃんにふさわしく表現するため、金刺繍をわたくしめが入れさせていただきました」
「ああ、うん」
小さな主は怒涛の説明の前にただ頷いた。
「……まあ、屋敷の中でなら被っても良い」
そうぼそりと遠回しな拒否に近い譲歩を示すも、メイド長は顔を輝かせる。
「では早速、悪戯を受けよ、菓子も持てトリックアンドトリートと参りましょう!!
「次はそれだ」
疑問を抱かされる言葉がまた出てきたため、目を閉じて眉間をぎゅっと押さえた。
「それはどういう意味なんだ」
「金髪赤目とは全てを手にする者のこと。選択などしていただく必要はございません。さあどちらもお望みください。わたくしめにお命じ下さいませ」
その力強い口調に、小さな主は何か命じて欲しいだけなんだろうなと溜息をつく。
「そんなふうに菓子を差し出されるハロウィンは、面白いものか?」
「ハッ……、そう言われてみれば、嫌がる相手に巧妙なトリックを仕掛けて奪うのもまた醍醐味……と亡き父君はおっしゃっていました。さすが坊ちゃんでございます、父君と同じ所感をお持ちになるとは。では、わたくしめにトリックを存分に仕掛けてくださいませ」
「お前、嫌がらないだろ、それ。……ではなくて! 頑なに悪戯と菓子のどちらも満たそうとしなくていいんだ」
「しかしそれでは金髪赤眼の沽券に関わります」
引き下がらないメイド長を見て、小さな主は困ったが、なんとか回避策を思いついた。
「そうだ。私が君主らしく、お前に菓子を与えるというのはどうだ?」
「なんと……恐れおおうございます!」
「いや、これこそ提案ではなく命令だ。私に言うと良い、悪戯か菓子かトリックオアトリート、と」
ワゴンに山と積まれていた菓子のうち、キャンディをひと掴みしてメイド長の言葉を待つ。メイド長は視線をさまよわせて、どうすべきか迷ったようだったが、表情を真剣なものにすると、厳かに
お悪戯かお菓子かトリックオアトリート
と言った。
「ほら。いつもありがとう」
小さな主はただ菓子を渡すつもりだったが、メイド長があまりにも真面目に受け取ろうとするので、つい礼を述べて渡してしまう。
うっかり礼を言ったことが少し気恥ずかしく、赤面し、ハロウィンとはいったい……と頭の中で思うも、メイド長が突然崩れ落ちたために、意識は全てそちらに持っていかれた。
「どうしたんだ?」
なんとなく理由に察しがつくが、心配で声をかける。
「……! 申し訳ございません。坊ちゃんが君主らしくわたくしめにお命じくださった喜びに輪をかけ、礼の言葉とともに褒美を下さるとは身に余り……。余りまして、心臓が止まりましたのでございます」
「褒美といっても、お前が用意した菓子を渡しただけなのだが」
「ああ、いけません! なんてことでしょう。よく考えれば、坊ちゃんから何かご下賜いただくのは、これが初めてではありませんか! このお菓子は永久凍土の地に赴いて、傷まぬ処理をしなければ!」
「食べてくれ、頼むから。菓子もかわいそうだろう」
「しかしこれは記念品としたく……、でもそのお優しさ、さらにわたくしめ感激し……あっ……」
またがくりと膝をついて崩れ落ちるメイド長。息がない。
「ま、待ってくれ……。こんなことでいちいち意識を失ってどうするんだ、起きてくれ」
「ご命令とあらば」
小さな主は呆れた。
「何と言うんだったか……、そう、ゾンビのようだな、まるで」
「では坊ちゃんはさしずめ異郷の呪術師といったところでしょうか。わたくしめは坊ちゃんがお望みになる限り、お仕えさせていただく永遠の僕イモータル・メイドでございますね!」
メイド長は、それは素敵だと一層うきうきはしゃぐ。
「そういうことであれば、わたくしめ、衣装を作りかえて参ります。せっかくですから、夜は領地にお出かけはいかがでしょう? 腕によりをかけさせていただきますので」
「……略奪の腕、という意味じゃないよな? 仮装の仕立て直しのことだよな?」
メイド長に一抹の不安を覚えながらも、民衆に紛れられるかという不安の方はもう吹き飛んでいた。深まりゆく夜の気配に期待している自分がいることに気づくと、メイド長に釣られてしまったか、と小さな主は苦笑する。
「本日は稀満月ブルー・ムーンになるそうですよ。きっと坊ちゃんを輝かす、相応しい一夜になると存じます」
「くれぐれも、共に平和に月を眺める意識でいてくれ、いいな?」
こうしてその夜、やたらに刺繍や飾りに気合の入った異国風の小さな呪術師と、衣装は全く代わり映えしないが永滅を謳うメイドの組み合わせが、祭のかぼちゃのランタンの灯の間に間に見られたのだとか。